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by niinfo

ルポ:アイルランドの南から北へー2 光りが見えてきたベルファースト 「変われるか」?

日刊ベリタ 2008年08月01日掲載

 プロテスタント系とカトリック系の住民との間で対立が続いてきた英領北アイルランドで、停止状態にあった自治政府が再開してから1年余が経つ。公衆の面前では声をかけることさえタブー視されてきた、対立政党の代表らが1つの政府を構成し地元の問題解決にあたる姿は、4千人近くを異なる宗派同士の争いで失った住民にとって、大きな前向きのメッセージとなった。互いに対する不信感が消えたとは言えないが、中心都市ベルファーストを在ロンドンの外国人記者数人と共に訪れ、新しい局面に入った北アイルランドの現在に触れた。 
 
▽「変われるか?―そう信じたい」 
 
 ベルファーストのプロテスタント住民が集中して住むシャンキル通り。閉店中の商店や窓ガラスが壊れたが修復されずそのままになっている建物などが目に付く。「プロテスタント住民の居住区域の中でも、ここは貧困度が高い地域」と、ガイドのヒュー・ライスさんが、私たち報道陣を乗せたバスを運転しながら、説明する。 
 
 「ベルファーストではカトリックの住民とプロテスタントの住民はそれぞれ固まって住む場合が圧倒的に多い。宗派が違う住民同士が混在する地域は少ないんだ」とライスさん。 
 
 通りにある建物の壁面には、様々な壁画が描かれていた。一昔前までは、カトリック、プロテスタントの両宗派の民兵組織が銃をかかえる戦闘的なものが多かったが、現在ではアイルランドの歴史に関わる壁画、地域コミュニティーの活動やスポーツをしている様子などを描くものに変わっていると言う。黒いマスクで顔をかくし、銃をかかえている民兵の様子を描いた壁画を私が目撃したのは、このシャンキル通りとその近辺ぐらいだった。 
 
 バスはローワー・シャンキル・ロード住宅街の広場で止まった。広がる緑の芝生を囲むように建てられた何軒もの住宅の前には、英国のユニオン・ジャックの旗かイングランドのセント・ジョージの旗が掲げられていた。これはプロテスタント住民の居住地域であることを示す。 
 
 アパート群の壁には、巨大な壁画が複数あった。広場の中央に立つと、壁画に囲まれている思いがする。広々とした場所に立っているにも関わらず、窒息しそうなほどの大きな圧迫感を感じた。 
 
 壁画の1つはカトリック住民とプロテスタント住民の戦いを取り上げ、誰かが火炎瓶などを投げつけたらしく、住宅が燃えている様子を描いていた。攻撃されて横たわる男性の姿も背後に見えた。戦いの場面は丸い輪の中に描かれており、上部に「変えられるだろうか?」という疑問文が書かれていた。下部には「(変えられると)思う!」という答えがあった。 
 
 カトリック住民の居住地とプロテスタント住民の居住地の間には、時として「ピースウオール」(平和の壁)と名づけられた「壁」がある。この「壁」とは、少なくとも高さ5メートルはありそうな柵のことだ。上部は金網になっていることが多い。柵と柵の間に一定の距離が置かれている場所もあり、例えば、カトリック地区からプロテスタント地区に行こうとすると、柵の一部がドアのように開く仕組みになっていて、ここから2つの地域の緩衝地域を歩き、今度はプロテスタント地区の「ドア」から、相手側に入る。夜一定の時間から早朝まで、ドアは閉められている。 
 
 ピースウオールができたのは、1970年代初頭だ。カトリック、プロテスタント住民がそれぞれに対する暴力行為を防ぐために、当初はダンボール、針金、木片、コンクリート片などを積み上げたバリケードが発端だ。 
 
 住民同士の暴力が過激化したため、当時の英領北アイルランド政府が、在ロンドンの英政府に軍隊の導入を依頼。住民、民兵組織、英軍の兵士が抗争に関わるようになる。「平和の壁」は、次第に固定されるようになり、現在では鉄製の頑丈な柵となっている。 
 
 2つの宗派の争いのきっかけは、何世紀も前にさかのぼる英国(イングランド)のアイルランド(アイルランド半島一帯)支配だ。1920年代、南部がアイルランド自由国として自治権を持ち(後アイルランド共和国として独立)、一方の北部の6州は英国同様プロテスタント系住民が多く工業的にも栄えていたことから、カトリック教徒が大部分の南のアイルランドと運命を共にすることを拒んだ。現在では、北アイルランドのカトリック住民とプロテスタント住民の比率はほぼ半数となった。 
 
 1970年代以降の住民同士の対立(「トラブル」と呼ばれる)は激化したが、1998年の和平合意を一つのめどに、次第に事態は沈静化した。1999年、自治政府が発足したが、2002年、スパイ疑惑をきっかけに政党間の信頼感が崩れ、自治政府は事実上崩壊した。 
 
 昨年5月、英政府、アイルランド政府の首脳陣を交えた交渉の末、新たな自治政府が発足した。同じ部屋にいることもよしとしないほどの敵だった、プロテスタント系民主統一党とカトリック系シンフェイン党のそれぞれの代表がにこやかに談笑する姿がメディアを通して報道された。新しい北アイルランドの大きな一歩だった。 
 
▽「今はすっかり良くなった」 
 
 ベルファーストで生活し、仕事をするどの人に聞いても、「カトリックとプロテスタント住民の憎しみというのは、殆どの人にとってはあまり重要なことではない」、「普通に一緒に仕事をしているし、問題とするのは本当に一部の人だけだ」という答えが返って来た。 
 
 壁画に囲まれた広場に私たちを連れてきたライスさんも、「こだわっているのは、全体のほんの一部の人なんだよ」と言う。ライスさんはベルファーストで生まれ育ち、35年間、地理の教師として教え、ガイドの資格を取った。 
 
 北アイルランド議会(通称「ストーモント」)の建物は、中心部からやや離れた小高い丘の上にある。ストーモントに通じる一本道に入る直前、バスはチェックポイントを通過した。ライスさんがチェックポイントの管理者にちょっと挨拶するだけで、チェックは終わりだった。「前は、車を止めて、中を検査してから出ないと、一本道に入れなかったんだ」とライスさん。 
 
 「今はすっかり良くなった、昔とは違う」-。そんな言葉を聞きながらも、プロテスタント地区とカトリック地区を分ける、頑丈な柵の存在に打ちのめされた。首を曲げて、柵の上を見れば、金網が伸びる。「絶対に越えさせるものか」という意思、あるいは「越えてきたら、怖い」という恐怖感も象徴しているように見えた。壁・柵と共に生きることは、決して尋常な生活ではないのではないか。 
 
 観光団体「ベルファースト・ビジター・会議社」に勤めるイブ・オニールさんに聞いてみると、「他の場所と比べて、全く普通だとは確かに言えない。でも、北アイルランドへの投資も増えているし、段々良くなっていくと思う」と答えた。「自治政府再開は本当に良かったと思っている。これで自分たちのことは自分たちで決められる」。 
 
 夜、伝統的なアイルランドの音楽と踊りが見られるという、「エンパイヤー・ミュージック・ホール」に足を向けた。バイオリンを中心とした4人組のバンドに、バレーのチュチュに似た衣装を身に付けた女性たちが踊る、「オマリー・エキスペリエンス」の公演だった。どことなく懐かしさを思わせる、フォーク・ミュージックの調べとリズミカルな演奏に合わせて、女性たちがタップダンスや脚を大きく上下させる動きで舞台を飛び回る。十代から高齢者までと観客の年齢層は幅広い。自然に手拍子が起きる。 
 
 第一部が終わり、身体をゆすりながら音楽に耳を傾けていた、白髪の男性に声をかけてみた。「今聞いた音楽は、本当に昔からのままの伝統音楽なのだろうか」?男性は、うなずいた。「でも、音楽そのものは変わらないとしても、こうした音楽を聞くために家族や親戚が一堂に集まる機会はめっきり少なくなった。これが寂しい」。 
 
 「昔も、踊り子のコスチュームはあんなに短かったのだろうか?」と聞いてみると、男性は、「昔はずっと長かった。現代風にセクシーな方が受けるのだろうね」、と言って笑った。 
 
 第2部が始まり、演奏をまた聴いていると、本当にここは紛れもないアイルランドなのだな、と感じた。前日いたダブリンと、文化的には一つにつながっている場所なのだ。アイルランド共和国と英国という、2つの国に分かれざるを得なかった、北アイルランドの歴史をまた思い出していた。(続く) 
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by niinfo | 2008-09-03 16:07 | 北アイルランドルポ