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by niinfo

ルポ: アイルランドの南から北へー1 「仏大統領にノー!」のダブリン 光りと影の拮抗の旅

日刊ベリタ 2008年07月30日19時40分掲載

 1973年の欧州連合(EU)加盟を機に大きな経済成長を遂げ、近代的なハイテク産業の国として変身したアイルランド共和国が、6月中旬、EUの新基本条約「リスボン条約」の批准を国民投票で否決した。「まさか、アイルランドがー?」という驚きがEU中枢部を襲った。EUの投資の最大受益国アイルランドはEUにノーと言う国に変わりつつあるのだろうか?一方、アイルランド半島の北の6州で構成される英領北アイルランドでは、2002年秋以降停止状態となっていた自治政府が昨年、ようやく再開となった。カトリックとプロテスタントという異なる宗派の住民同士の争いに政治家も引きずられてきたが、新たな一歩を踏み出しつつある。ロンドン在住の外国人プレスを対象にした取材旅行に参加し、アイルランド半島の南と北を駆け足で巡った。光りと影が拮抗する数日間となった。 
 
▽移民がやって来る国 
 
 1840年代、アイルランドをジャガイモ飢饉が襲った。ジャガイモ菌による感染症を避けるには、主食のジャガイモを食べることをあきらめざるを得なくなった。国民は餓死に至るか病気に苦しみ、10年間で150万人ほどが亡くなったとされる。生き残りをかけて、イングランド(後の英国)、米国、カナダなど国外に逃れる国民も続出した。アイルランドは移民の輸出国となった。飢饉の前は、(英領北アイルランドを含む)アイルランド半島の人口は800万人を超えていたが、現在は約600万人。未だに人口数では回復ができていない。 
 
 1973年、EUに加盟したアイルランドは1990年代に入ってから急成長を遂げる。特に目覚しい成長となったのが1995年から2000年で、10%前後の成長率を記録した。「ケルト(アイルランド、スコットランドなどに住むケルト人)の虎」、「ケルトの奇跡」と言われるほどになった。アイルランドは世界中から移民を受け入れる国となっていた。 
 
 首都ダブリンの繁華街グラフトン・ストリート。飲食店からファッションまで様々な商店が並び、国際色豊かな観光客や移民、地元住民が通りをひしめく。「時々、自分の国にいる感じがしない」と、ダブリン市民は感じると言う。 
 
 私自身がダブリンを訪れたのは17年ぶりだ。グラフトン・ストリートを同じように歩いたが、今回は以前よりももっと人ごみが多い感じがした。海外に支店もある「ビューリーズ・カフェ」に腰を下ろすと、注文を受けるウエイトレスはほぼ全員が中国系だった。 
 
 ガイド役のガリー・バーンさんによると、EUが東方拡大をした2004年以降、最も多いのは「ポーランドからの移民」だ。07年、EUに加盟したばかりのルーマニアやブルガリアからの移民も増えている。 
 
 ダブリンは古くはジョナサン・スイフト(「ガリバー旅行記」)、20世紀には入ってからはジェームズ・ジョイス(「ダブリン市民」、「ユリシーズ」)、サミュエル・ベケット(「ゴドーを待ちながら」)、オスカー・ワイルド(「ドリアン・グレイの肖像」)など、著名な小説家や劇作家を生んだ都市でもある。ジョイス自身はアイルランドを嫌っていたとも言われ、成人になってからの生涯の殆どを国外で過ごしたが、ダブリンをテーマにした作品もあることから、ジョイスの作品を読みながら市内を巡る若者たちの姿を見かけた。 
 
 「ユリシーズ」をはじめジョイスが作品の中で言及したのがリフィー河。その南岸にあるテンプルバー近辺は、ロックバンド「U2」の録音スタジオやミニ・コンサート会場などがあり、文化的メッカの1つとなっている。中世を思わせる狭い通りを歩いていると、アコーディオンを弾いている人がいた。物悲しさと陽気さが混在し、足を止めずにはおかない音だった。人懐こい微笑を浮かべながら、歌い、アコーディオンを操っていた。 
 
 歌の区切りがついたところで、どこか他の国から来たのかと聞いてみた。「ルーマニアだ」。「アイルランドの生活はどうですか?」男性は、やや驚いて「ルーマニアだ」と繰り返す。言葉がうまく通じないことが分かって、「大丈夫」という意味でOKサインを出した。新しい歌を始めてくれた男性にチップを出し、聞き入った。 
 
▽「仏大統領にはノーだ」 
 
 ダブリンで一晩を過ごし、早朝、宿泊先の周辺を歩いてみた。宿泊先は、「セント・スティーブンス・グリーン」公園の真向かいにあった。中に入って歩き回るほどの時間はなかったが、門の辺りを歩いた後、振り返ると新聞のスタンドが見えた。 
 
 スタンドの後ろには、タバコをうまそうに吸う販売人の男性がいた。「景気はどうですか?」と聞くと、「あまり良くはないけどね。まあまあ、大丈夫さ」。 
 
 新聞販売ケースの中には、アイリッシュ・タイムズなどの自国の新聞と共に、英国の新聞、それにフランス、ドイツの新聞など。「外国の新聞も売っているんだね!」と驚くと、「そうさ」と言ってにっこりし、またタバコを吸う。 
 
 新生EUの基本条約「リスボン条約」の批准を、アイルランド国民が6月否決してしまったので、サルコジ仏大統領が「2回目の国民投票をさせようとしている」と言う見出しが、アイルランド紙の1つに出ていた。翌週には、サルコジ大統領がアイルランドを訪問することになっていた。この件について聞くと、新聞売りの男性は、「何回聞いたって、ノーはノーだよ。フランスだって、オランダだって(以前には)ノーと言ったんだから。サルコジには、つべこべ言わずに国に帰れと言いたいね」。 
 
 新聞スタンドの向かい側に、路面電車が止まった。仕事に向う人々が、乗り遅れまいと走ってゆく。欧州国内で路面電車はよく見かけるが、ダブリンの路面電車は車体がぴかぴかで、妙に新しい。ダブリンの路面電車は19世紀には既に存在していたが、長い間閉鎖状態だった。「ルアス」として再登場したのが2004年。運航開始からほぼ一年で、利益を生み出すようになった。 
 
 1980年代後半、18%にも達していたアイルランドの失業率は、1990年代以降の好景気で3-4%にまで落ちた。昨年からはかげりが生じ、今年5月時点での失業率は6%となった(欧州統計局発表)。それでも、07年の一人当たりの国内総生産はルクセンブルグに続き、アイルランドが第2位を維持している。 
 
 EU大統領の設置や意思決定の迅速化などを定めるリスボン条約の批准をアイルランドは否決したものの、欧州委員会の調査(6月末)では、国民の大部分がEU加盟で利益を享受したと答えており、親EUは変わらないようだ。 
 
 アイルランドの英国からの独立史の中で、大きな位置を占めるのが、ダブリン中央郵便局だ。1916年、独立を求める武装有志約1000人が郵便局に立ちこもり、戦闘の末に、「アイルランド自由国」として独立を宣言した。英軍相手に一週間抗戦したものの、数千人の死傷者を出した。これは直ぐには独立にはつながらず、反乱指導者16人が処刑されるというむごい過去があった。 
 
 この郵便局の前の路上に、電光掲示板が立てられていた。ネオンになっていて、人がゆっくり歩く姿のイメージが現れる。ついつい、小走りで歩きがちなダブリン市民に、「もっとゆっくりしよう」というメッセージを与えるために立てられたという。まだまだ元気なダブリンーそんな印象を持った。 
 
▽南から北へ 
 
 ダブリンから英領北アイルランドに向うことになった。ダブリン・コノリー駅から北アイルランドの中心都市ベルファーストの中央駅まで走る電車に乗った。 
 
 2時間ほどでベルファースト中央駅に到着する。パスポートを見せる必要はなかった。陸を走る電車での旅だったために、南のダブリンも北のベルファーストも「1つのアイルランド」であることが、しみじみと実感された。 
 
 アイルランド半島が2つの国に分かれているのは、元はといえば、イングランドによる、アイルランド支配だった。反乱、独立運動を封じ込めるため、カトリック教徒が大部分のアイルランドに、プロテスタントのスコットランドやイングランドからの入植が組織的に行なわれた。北部のアルスター6州は、プロテスタント住民が大多数を占めるようになった。いよいよ、アイルランドが独立の運びになった時、6州は英国との結合を選択した。 
 
 アイルランドを歩けば、あちこちで、過去の傷痕が見えてくる。盛夏の陽光が溢れるグラフトン・ストリートから、北のベルファースト市内に足を踏み入れると、忘れられない過去がますますくっきりと見えてきた。(続く) 
 
ーアイルランドの南北分割までの動き 
 
12世紀 イングランド王ヘンリー2世がアイルランド侵攻 
17世紀 イングランド、スコットランドからの入植者(プロテスタント)が増加。 
1641年 入植への不満から、カトリック住民によるプロテスタント住民の虐殺 
1649年 オリバー・クロムウェルがアイルランドで住民虐殺 
1650年 クロムウェルのアイルランド制服 
1685年 カトリックのジェームズ2世がイングランド王に 
1688年 宮廷革命でオレンジ公ウイリアムと妻メアリーが国王に 
1689年 ジェームズ2世、デリー包囲 
1690年 ウイリアム3世の侵攻、「ボインの戦い」 
1691年 リマリック条約でプロテスタントの優位決定 
1695年 異教徒刑罰法でカトリック弾圧 
1801年 英政府、アイルランドを正式併合 
1845年―49年 ジャガイモ飢饉の被害がアイルランド全土に広がる 
1914年 アイルランド自治法が成立するが、第1次世界大戦のため保留 
1916年 英国からの独立を目指し、南部の都市ダブリンで約1000人の市民が「イースター蜂起」。指導者は処刑 
1920年 アイルランド施政法の下、プロテスタントが多く、英国との継続した連合を望む北東部の6州「北アイルランド」とカトリックが主体の南部26州とが分離 
1921年 英国―アイルランド条約が締結。南部26州が自治権を持つ「アイルランド自由国」になることを定めた。北アイルランドの6州は「自由国」に加わらないことを選択。北アイルランド議会発足(71年まで続く) 
1922年 南部がアイルランド自由国憲法を制定 
1937年 南部が新憲法を制定し、主権国家を宣言 
1949年 アイルランド共和国が成立(北部は英領北アイルランドのままを維持) 
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by niinfo | 2008-09-03 16:05