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北アイルランドは今 4

(日刊ベリタ 2006年06月17日掲載)

第4回:街を歩く(2) 両派住民を隔てる「平和の壁」が増え、より頑丈に

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(ハンガーストライキで命を落とした、ボビー・サンズの壁画)

  英領北アイルランドではほとんどの市民がカトリックか、プロテスタントか、それぞれの宗派ごとに固まって住む傾向がある。その方が「安心」と考える市民が多いためだが、集中率が特に高いカトリック地区とプロテスタント地区とが近接する場所は、争いごとが起き易く、火炎瓶の投げ込み、投石、放火事件などが珍しくない。1960年代末からの北アイルランド紛争でテロが頻発したのも、こうした場所だった。中心都市ベルファースト市内のテロ多発地域を歩くと、所々で「平和の壁」に出会う。皮肉なことに、両派住民を隔てるために造られたものなのだ。(北アイルランド・ベルファースト=小林恭子) 
 
 おもちゃのライフルを手にして戦争ごっこをしていた、カトリックの少年たちと別れ、カトリックの過激派武装集団、カトリック共和軍(IRA)の拠点の1つ、フォールズ・ロードに向かう途中で、道の左側に、霊園のような場所があった。小さな公園のようになっていて、中に入ると1メートル強の高さの石が左右に置かれ、その後ろには記念碑がいくつか建てられていた。 
 
 記念碑の1つには、プロテスタント住民からの攻撃にあい、逃げ惑うカトリック住民の様子が描かれている。独立運動や北アイルランド紛争で犠牲者となったカトリックの住民の霊を鎮めるための場所なのだろうか。木々や植物が植えられ、ベンチもあった。小さな小川が作られていて、道路に面しているにも関わらず、水が静かに流れる音が聞こえた。 
 
 「霊園」を出て、フォールズ・ロードにはいると、長髪の若者の顔が壁一面に描かれた建物があった。若者はハンガーストライキで命を落としたカトリック教徒のボビー・サンズで、この建物はIRAの政治組織シン・フェイン党の事務所の1つにもなっている。 
 
▽ハンガーストライキ 
 
 カトリック、プロテスタントの両宗派のそれぞれの武装集団がテロ活動を頻繁に行っていた1970年代から80年代、多くのカトリック教徒の若者たちがIRAのメンバーという容疑で警察に逮捕されたが、この中の一人がサンズだった。通常の刑法犯ではなく、政治犯として扱われることを要求し、この要求を通すために、1981年ハンガーストライキを行い、他の9人と共に命を落とした。サンズや他にハンガーストライキで亡くなった若者たちは、カトリック住民からすれば、英雄だ。 
 
 当時のIRAの指導部は「戦略上マイナス」ということでハンガーストライキを支持していなかったが、内外に大きく報道され、結果的には南北アイルランドの統一を目指すIRAに大きな政治的地位を与えた、と言われている。シン・フェイン党の党首ジェリー・アダムズ氏も当初ハンガーストライキに否定的だったが、後年、自伝の中で、ストライキによる死と当時の様々な状況に思いをはせると、「現在でも泣かずにはいられない」と書いている。 
 
 プロテスタントの住民が住むシャンキル通りは、フォールズ通り同様、ベルファースト市内のバス・ツアーが必ず通る場所だ。1970年代に19人を殺したと言われる、プロテスタント系ギャングの1つ、「シャンキルの殺し屋(シャンキル・ブッチャーズ)」が良く知られている。 
 
 バスの窓から見下ろしながら目にするシャンキル通りは、銃を手に持った民兵組織の青年たちの姿を描いた壁画の数々が物騒な雰囲気をかもすが、歩いてみると、火炎瓶などが爆発した痕や、さびれた外装の建物が並び、うら寂しい感じがした。 
 
 過去にあった紛争の傷跡がそのままになっているシャンキル通り。よほど全面的な改修を進めなければ、住む人はいなくなるだろうと思わざるを得なかった。 

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(シャンキル通りにある、若者の雇用相談所の壁画)

 ある建物には、これまでとは全く違う感じの、カジュアルルックに身を包んだ青年の姿が壁の一面に描かれていた。若者たちの雇用・生活相談のための団体の建物だった。「文句を言っているばかりではだめだよ」「手に職をつけて、何かを始めてみよう」「気軽に相談に来るんだよ」。何とか中に入ってもらおうという、勧誘の文句で一杯だった。 
 
▽窓に鉄製の網 
 
 フォールズやシャンキルあたりを歩いていて、時々出くわすのが、「ピース・ウオール」、「ピース・ライン」だ。「ピース」というのは、ある意味では皮肉だが、カトリック住民が住む地域とプロテスタントが住む地域を分ける壁、あるいは柵だ。 
 
 この壁ができたのは、異なる宗派の住民同士の争いが北アイルランド紛争(英語ではトラブル)と呼ばれるようになった頃の1970年代初頭と言われる。カトリック、プロテスタント住民がそれぞれに対する暴力行為を防ぐために、当初はダンボール、針金、木片、コンクリート片などを積み上げたバリケードが発端だ。 

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(カトリック地区とプロテスタント地区は高い柵で囲まれている。) 

 住民達同士の暴力が過激化したため、当時の英領北アイルランド政府が、在ロンドンの英政府に軍隊の導入を依頼。住民、民兵組織、英軍の兵士が抗争に関わるようになる。「平和の壁」(ピース・ウオール又はピース・ライン)は、次第に固定されるようになり、現在では鉄製の頑丈な壁・柵となっている。数メートルの高さのピースラインの隙間から相手側の居住地の様子が見えるものの、簡単に乗り越えることができないほどの高さで、そびえたつ。 
 
 北アイルランドに関する情報をウエブサイトに集め、無料で公開している市民団体CAIN(ケイン)によると、現在、数え方にもよるが、北アイルランドにあるピースラインの数は35。しかし、「数は増えており、より長く、より高さのあるピースラインを望む住民が多い」という。「北アイルランドは、ますます両方の宗派の住民の間の隔絶化が進んでいる」。 
 
 フォールズ、シャンキルの通りを過ぎて、小高い丘を登っていくと、長いウッドバレー・ロードに入った。建ち並ぶ家の中には、窓には鉄製の網が取り付けられ、玄関のドアが壊れ、もはや誰も住んでいない様子の家もあった。 
 
 丘を登っていくと、左側にウッドバレー公園があった。急に広々とした緑が開けた感じだった。柵に囲まれた緑地の中にジャングルジムやブランコがあり、若い女性たちが話しこんでいた。遠くでは子供たちがボール遊びをしていた。なんとも平和な光景で、今まで見てきた、割れた窓ガラス、壊れたドア、火炎瓶が作った焼け焦げなどが夢のようだった。 
 
▽「行ってはいけない場所」 
 
 公園を左手にしてさらに前方に進んでいくと、クレムリン・ロードに入る。ここからあたりが、観光ガイドブックが「行ってはいけない」と名指しする、アルドイン地区になる。アルドインは主にカトリック住民が住む地域だが、少数のプロテスタント住民も同時に住んでいる。過去30-40年で、カトリック、プロテスタントの住民同士の暴力事件が特に多発した場所だ。 
 
 ベルファーストでは、空には英軍の監視用飛行機が徘徊し、路上には警察の白いパトロール用バンが回っているのは日常茶飯事だった。このバンは、通常、英国のほかの地域で目にするものとはやや異なっている。窓の部分が極端に小さいのだ。住民からの攻撃が多いためだろう。 
 
 アルドイン通りを上りきった左手にあるのが、カトリックのホーリー・クロス・ガールズ小学校だ。この小学校に到着するには、右手に固まって存在するプロテスタント住民の数件の家の前を通ることになる。カトリックの親からすれば、いわば、敵の包囲を通りぬけて学校に通う。 
 
 数十メートルほどのこの通学路が、警察、英軍、住民、報道陣で一杯になり、発砲事件まで起きる、という事態が、2001年に起きた。親と共に学校に向かう少女たちは、プロテスタント住民たちから、罵声を浴びせられ、つばをはきかけられ、尿が入った袋をぶつけられた。泣き叫び、親に捕まりながら、学校への道を歩いた。こうした状態が3ヶ月以上、続いた。 
 
 通学路の両脇には、それぞれの宗派の住民たちの家が、固まって建っている。道を隔てた一方が他方の「敵」となる。これほど近い距離に住みながら、憎しみは強い。アルドイン通りに立っていると、住居から漂う憎しみ感、強烈なオーラのような気配を感じ、圧倒される思いだった。(続く。次回「ホーリークロス・ガールズ小学校事件の衝撃」) 
 
(参考資料:BBC,CAIN, Northern Ireland: A Very Short Introduction by Oxford University Press, Making Sense of the Troubles by Penguin他) 
 
※「北アイルランドは今」は、日本と英国の相互理解を進めることを目的とする、英国のチャリティー団体グレイトブリテンササカワ財団助成金を得ています。

http://www.gbsf.org.uk/general/j/genera_jpl.html 

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by niinfo | 2007-09-26 21:39 | 北アイルランドルポ