北アイルランドの政治、社会をウオッチングします。


by niinfo

北アイルランドは今-2

日刊ベリタ 2006年05月18日掲載


第2回:敵対心あらわなプロテスタント系とカトリック系議員たち 3年半ぶり召集の議会

 2002年10月以来機能停止に陥っている自治政府の再開をめざして、北アイルランド議会が15日、3年半ぶりに召集された。来週からは自治政府の「閣僚会議」(エグゼキュティブ、政府の内閣にあたる)のメンバーの選出が始まるが、プロテスタント系とカトリック系議員の不信感は依然根強い。英政府、アイルランド政府が課した、11月24日までの期限までに選出が可能かどうか、現時点では予測がつかない。両派議員に対して住民からは、「給料だけもらって何もしないのは、頭に来る」、「そろそろ仕事を始めてくれ」とする声が高まっている。住民同士の対立を和解に導くよりも、敵対心をあおるばかりのように見える政治家たちの様子を追った。(北アイルランド・ベルファースト==小林恭子) 
 
▽失業者たちの家? 

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 北アイルランドの中心都市ベルファーストで観光バスに乗ると、バスガイドが、小高い丘の白い建物を指す。「ほら、あそこが失業者のための施設だよ。立派だろう?」 
 
 「失業者のための施設」が何故緑の多い丘の上に?一瞬考えていると、「おっと、違った。あれは議会だったな。あまりにも長く使われていないので、忘れるところだった」。乗客の苦笑がバスの中に広がった。 
 
 もうこのジョークは通用しない。2002年から機能停止になっていた北アイルランド自治政府再開のために、今週、3年半ぶりに、議会(ストーモント地所にあるので、ストーモントと呼ばれている)に108人の議員が集まったからだ。2003年に北アイルランド選挙が行われてから、初めての召集だ。 
 
 注目点は、対立構造にあるカトリックとプロテスタントのそれぞれの住民を代表する政党が、互いに妥協できるところは妥協し、譲歩し合い、閣僚会議のメンバーを協力して決定することができるかどうか。 
 
 住民レベルでは、宗派の違いを理由とした傷害事件や小競り合いは絶える事がないが、それでも生活は続く。高校までは宗派によって異なる教育機関で勉強する場合がほとんどだが、大学などの高等教育の機関や会社などではカトリック、プロテスタントの住民が一つの教室あるいはオフィスで共に勉学する、あるいは働くのは日常的光景だ。 
 
 しかし、政治の場では、こうした共同作業はかなり限られたものになる。異なる宗派の政党の議員同士は同室にいることを避けるばかりか、同じ部屋にいても極力直接は話しかけない、顔を見ない、など、第3者からすれば奇妙な現象も発生する。 
 
▽両極端の政党の躍進 
 
 北アイルランドの政党は、ほとんどがプロテスタント系かカトリック系に分かれる。プロテスタントの政党及び支持者は「ユニオニスト」とも呼ばれ、英国に帰属し続けることを望んでいる。カトリック系政党及びその支持者は主に「ナショナリスト」で、南北アイルランドの統一を目指している。 
 
 従来、最大政党はプロテスタント穏健派のアルスター統一党(UUP)だったが、2003年の北アイルランド自治議会選挙で、プロテスタント、カトリックともに強硬派が票を伸ばした。 
 
 第一党はプロテスタント強硬派の民主統一党(DUP)で、20議席から30議席へ。カトリック系過激派アイルランド共和軍(IRA)の政治組織、シン・フェイン党も18議席から24議席へ。UUPは28議席から27議席になり、カトリック穏健派の社会民主労働党(SDLP)は24議席から18議席となった。 
 
 その後、数人の議員の移動があり、15日午後の時点では、DUPが32議席、UUPが25議席、シン・フェイン党が24議席、SDLPが18議席、その他となっている。 
 
 議会招集日、シン・フェイン党の党首ジェリー・アダムズ氏は、テレビカメラに向かって、誇らしげな笑みを見せた。「(プロテスタント系政党との)違いはたくさんある。しかし、共通点もたくさんある」、として、自治再開に大きな希望を託した。 
 
 シン・フェイン党とは対極の立場にいるプロテスタント系の急進政党、民主統一党(DUP)のイアン・ペイズリー氏は、シン・フェイン党と政権を組むことは不可能ではないが、「リパブリカン(IRA支持者)は法のルールを守らなければならない」、「私たち全員が法を遵守している。しかし、リパブリカンはそうしていない」と述べ、IRAが未だに武器を保持している、犯罪行為に手を染めている、と非難した。 
 
 DUPは、常々、「テロリストとは一切手を組まない」、といい続けてきた。この場合、常にテロリストとはIRAを指し、結局、「シン・フェイン党とは手を組まない」という意味だ。 
 
 敵対する政党とともに政府に加わるためには、「IRAが一切の武器を放棄すること、犯罪行為を止めること」を条件にあげている。 
 
 2005年7月、IRAは武装闘争の放棄を宣言しており、武装動向を監視する「独立監視委員会」(IMC)は、4月末の報告書の中で、IRAが保有する武器すべてを廃棄したわけではないとしたものの、「指導部が組織全体をまとめ、(武装解除という)目標に向かって多大な努力を払っている」、と一定の評価をしている。 
 
 DUP側はこれを十分なものとは見なしていない。現在の自治政府設立の基礎となった「1998年の和平合意」にも批判的だ。 
 
 IRAの武装解除問題は、常に自治政府再開のネックになってきた。 
 
 昨年も自治政府再開の直前まで交渉が進んだが、最終的には実現しなかったのは、ペイズリー氏が、「IRAの武装解除が進んだと言うなら、解除の様子をカメラに写して見せて欲しい。それまでは信じられない」、と述べた時だった。ブレア英首相、アハーン・アイルランド共和国首相が説得したにも関わらず、ペイズリー氏は譲らなかった。 
 
 写真を要求したDUPに対し、シン・フェイン党は、「信頼感がくずれた」として、交渉は決裂した。 
 
▽一時は紛争解決の世界的モデルに 
 
 現在とは形が異なるが、「北アイルランド議会」は1921年が最初の召集となる。 
 
 その数年前の1916年、英国からの独立を目指す南部の都市ダブリンでは、1000人ほどの市民が武装蜂起(イースター蜂起)を行っており、これは鎮圧されて、程なくして指導者らが処刑される、という痛ましい事件があった。 
 
 当時、アイルランドは英連合王国の中の一部だったが、独立運動の機運が高まっており、英政府は今後の統治方法について考えをめぐらせていた。プロテスタントの多い北東部は英国との継続した連合を望んでおり、カトリックが圧倒的な南部は、連合からの離脱を願っていた。南北の意思統一を困難と見た、時のロイド・ジョージ英首相は、南北にそれぞれ別の議会と政府を認めることを考えた。 
 
 1920年 アイルランド施政法の下、英国との継続した連合を望む北東部の6州「北アイルランド」と南部26州とが分離する。翌年、英国―アイルランド条約が締結され、南部26州が自治権を持つ「アイルランド自由国」になることが定められた。北アイルランドの6州は「自由国」に加わらないことを選択し、北アイルランド議会の発足となった。 
 
 1921年から1971年までの北アイルランド議会は、アルスター統一党やアルスター自由党が主導し、プロテスタント議員が政治を握っていた。 
 
 1969年を境に、米国の市民運動に触発されたせいもあって、政治、雇用、住宅面で差別を受けていたカトリック系住民による大掛かりなデモ、IRAなどの民兵組織によるテロ、これに対抗するプロテスタント系住民による攻撃や民兵組織による報復テロが続いた。英軍、警察などを巻き込んだ暴動が頻発し、「北アイルランド紛争」(通称「トラブル」)と呼ばれるようになった。 
 
 増えるテロ行為のため、1971年を最後に、英政府は北アイルランド議会を停止し、直接統治を開始した。 
 
 カトリック、プロテスタントの両勢力を代表とする政党がともに自治政府を構成する現在の枠組みは、1998年4月の和平合意を元にしたものだ。 
 
 同年、アルスター統一党の党首で自治政府の首相に選出されたデビッド・トリンブル氏と、和平交渉に深く関わった、穏健派SDLPの当時の党首ジョン・ヒューム氏は、ノーベル平和賞を受賞している。北アイルランドは、世界の紛争問題の解決の1つのモデル、と見られたこともあったのだ。 
 
▽スパイ事件で暗転 
 
 1999年12月、自治政府が発足の運びとなったが、この後も、何度か機能停止に陥っている。トリンブル氏はIRAの武装解除をシン・フェイン党が自治政府に参加する「条件」と主張し、首をかけて武装解除の進展を迫った。 
 
 2002年10月、事態は思わぬ方向に進む。シン・フェイン党の幹部とその部下が、議会内の英政府庁舎から英政府や軍、警察関係などの資料をIRA側に渡していたことが発覚した。 
 
 トリンブル氏はシン・フェイン党の閣僚を自治政府から排除するよう英政府に求め、もし排除ができないならば、UUPの閣僚が辞任する、とした。DUPも自党の閣僚の辞任を発表。プロテスタント、カトリックの両勢力の連立で成り立つ自治政府は、事実上、崩壊した。ブレア首相は自治政府機能の凍結を宣言した。 
 
 現在まで続く自治政府機能の停止状態のきっかけとなったスパイ事件だが、その詳細は未だ分かっていない。 
 
 昨年12月になって、スパイ事件で逮捕した3人に対する起訴を、英検察当局が取り下げている。同月、3人の中の一人、シン・フェイン党幹部のデニス・ドナルドソン氏が、「過去20年間、英情報機関のスパイだった」、と告白した。02年当時、「シン・フェイン党のスパイがいた」という事実は裏づけがないことになった。 
 
 4月上旬、ドナルドソン氏は、アイルランドの小さな村で隠遁生活を送っているところを、何者かに殺害された。 
 
 誰が何の目的で02年、議会を崩壊に追い込んだのか?崩壊に足るべき動きが実際にあったのかどうか、また、ドナルドソン氏が誰に殺されたのか、真相は闇の中だ。誰が敵で、誰が味方だったのか? 
 
 北アイルランド担当大臣のピーター・ヘイン氏は、北アイルランドの政治を「シュールレアリズム」と、表現したことがある。まさに、信じられないようなことが起きるのだ。 
 
▽顔をあわせない政治家たち 
 
 3年半ぶりの議会召集から数日の北アイルランドでは、政治家たちが「一堂に集まる」ことさえ、難しい。 
 
 第一日目は、全議員が議事室に集まり、宗派の差異に基づく憎しみによって殺された15歳の少年の冥福を祈る黙とうがあった。その後、それぞれ「ユニオニスト」、「ナショナリスト」あるいは「その他」になるのかを、登録。 
 
 午後にはチャールズ皇太子が主催したお茶会があったが、出席したのは、殆どがユニオニストの政党で、シン・フェイン党やSDLPなど、ナショナリストの政党の議員は参加しなかった。 
 
 当面の議員たちの目的は、「閣僚会議」(エグゼキュティブ)のメンバーを来週以降選出することだが、決定までの間、議員たちは地元民の生活に密接した、水道料金や教育などの問題を議論することができる。経済問題に関する議論は、16日から早速始まったが、シン・フェイン党は、「今回の召集は、98年の和平合意の枠組みを再度作ること」、「それ以外の議論の場にでても無意味」とし、議論には加わらなかった。 
 
 穏健派カトリック政党SDLPも、全ての議論には出席せず、「ケース・バイ・ケース」。 
 
 議会内のレストランでも、政党毎に座る場所が大体決まっている。親睦を深めよう、という機運は殆ど見られないようだ。 
 
 英政府とアイルランド政府が決定した自治再開までの予定表によると、6週間かけて閣僚会議のメンバーを既存政党による話し合いで決めることになっている。もし決まらない場合は、夏休みの後、再度集まり、最終的には11月24日までに選出する。もしこれも実現できないと、議員給与が停止される。英政府の直接統治への道を開くことになる。 
 
 英雑誌「エコノミスト」の北アイルランド専門記者フィオヌアラ・オコナー氏は、これまで頑なな態度を見せているDUPも含め、「それぞれの政党に、自治政府を再開させたい、というインセンティブがある」ため、今度こそ再開の道が開ける、と将来に関してやや楽観的だ。 
 
 一方、ベルファーストにあるクイーンズ大学の政治学の教授リック・ウイルフォード氏は、「6週間以内に閣僚会議のメンバーを決めるのはまず不可能。今年中に決まるとも思っていない」、という。 
 
 「しかし、何が起きるかを正確に予想はできない。あっと驚く展開もあるかもしれない。北アイルランドの政治は常に驚きの連続だからだ」。 
 
 議会招集日第一日目、議会前には労働組合のメンバーらがデモを行っていた。「もう待つのはうんざりだ」とプラカードの1つに書いてあった。 
 
 もし政治状況が住民同士の断絶状態を反映しているとすれば、政治家自身が手を取り合い、共同作業をする様子は必ずや社会全体に良いメッセージをもたらすに違いないが、現実はほど遠い。宗派ごとに固まり、共通のプラットフォームを持てない政治家たちは、将来の北アイルランドを担う子供たちの目に、どう映っているだろうか?(続く) 
 
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北アイルランド紛争以降の歩み 
 
1969年 カトリックとプロテスタントの衝突が激化。英語で「トラブル」と呼ばれる北アイルランド紛争が始まる。 
1972年 テロ活動の頻発に、英政府、北アイルランドの自治権を停止。 
1998年4月 カトッリク系、プロテスタント系の各政党が和平合意 
      6月 北アイルランド議会選挙 
      7月 自治政府首相にアルスター統一党(UUP)のトリンブル党首就任 
      10月トリンブル党首と社会民主労働党(SDLP)のヒューム党首にノーベル平和賞 
1999年12月 自治政府が発足 
2002年10月 IRAの政治組織シン・フェイン党の幹部が絡んだスパイ疑惑をきっかけとして、自治政府の機能が凍結。英政府による直接統治が開始。 
2006年4月 ブレア英首相、アイルランド共和国アハーン首相が、自治政府再開のための日程表を発表。 
   5月15日 北アイルランド議会が3年半ぶりに召集される。11月24日までに閣僚を選出することを目指す。 
 
 
※「北アイルランドは今」は、日本と英国の相互理解を進めることを目的とする、英国のチャリティー団体グレイトブリテンササカワ財団助成金を得ています。

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by niinfo | 2007-09-26 07:32 | 北アイルランドルポ