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by niinfo

北アイルランドは今 1


(日刊 ベリタ 2006年05月13日掲載 )

北アイルランドは今

第1回 自治政府再開を控え一触即発の緊張続くベルファースト
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(北アイルランド・ベルファースト市内を行進するオレンジ党の党員たち。)

 アイルランド島の北東部にある英領北アイルランドに住む人々は、頭に特殊なアンテナをつけているという。全人口約168万のほとんどがカトリック系(約43%)かプロテスタント系(53%)かに分かれ、相手がどちらのグループに属するのかを探り出す習性が身についているからだ。支持政党、新聞、学校は宗派によって分かれ、国民の90%は同じ宗派の者同士で固まった場所に住む。宗派間の対立に根ざす北アイルランド紛争は、1998年の包括和平合意を受けて翌99年に自治政府が発足したことで、世界の紛争解決のモデルとも言われた。だが自治政府は、2002年10月から機能停止に陥り、やっと今月15日から英国とアイルランド共和国の両政府の後押しによって再開への一歩を踏み出すことになった。すでに3200人以上の犠牲者を出している紛争に、今度こそ終止符が打たれるのだろうか。緊張の続く北アイルランドの今を探った。(ベルファースト・北アイルランド=小林恭子) 
 
▽15歳少年の死 
 
 15歳のカトリック教徒の少年マイケル・マッキビーン君は、北アイルランドの北部アントリム州の病院で、8日夜、家族に看取られながら短い生涯を終えた。24時間前、州内のバラミーナ地区で若者たちのグループに野球バットで殴られて重傷を負い、入院後救命装置がつけられていたが、回復不能となった。 
 
 15歳から19歳の青少年5人がマイケル君を殺害した疑いで逮捕され、11日から裁判が始まった。地元警察によると、犯行は異なる宗派の相手に対する憎しみが原因だ。 
 
 マイケル君の叔母がBBCに語ったところによると、彼は、7日夜、テイクアウトのピザを買いに外出し、出来上がったピザを持ち帰ろうとしたところで、プロテスタントの犯行グループにからまれ、小道に追い込まれた後で野球のバットで殴られた。若者たちはマイケル君の「頭の上で跳ね上がった」という。 
 
 警察の調べによると、事件が起きる2日前、あるプロテスタントの男性が、数人のカトリック系住民から駐車場で攻撃を受け、頭部を負傷していた。この事件を根に持ったプロテスタントの若者たちが、「報復の相手を探していた」、という。 
 
 マイケル君の死後、若者に人気のあるネットのチャットルームには今回の事件に関わる書き込みが急激に増加。プロテスタントが悪い、あるいはカトリックが悪いと、相手側のグループを責める書き込みが多く、地元警察の広報官は、このチャットルームを「監視中」、としている。 
 
 北アイルランド担当大臣のピーター・ヘイン氏は、「胸が悪くなるような宗派間のいがみあいによる攻撃」、とこの事件を評し、北アイルランドを「かつての暗黒時代に引きずり戻す」可能性がある、と述べている。 
 
 バラミーナの住民はほとんどがプロテスタント教徒で、異なる宗派間のいがみ合いによる攻撃がこれまでにも頻発してきた。昨年もカトリックとプロテスタントの若者同士の争いが起き、互いの学校や教会への放火や火炎瓶の投げ込みがあった。地元警察は地域住民に対して、「コミュニティー同士が未然に暴力沙汰を防ぐ努力をしなければ、さらに痛ましい事件が起きる可能性がある」、と注意を喚起していたところだった。 
 
 4月には、あるショッピングセンターで、20人ほどの若者が男性を刺す、という事件があった。これも原因は宗派の違いだった。マイケル君がバットで殴られてから数時間後には、45歳のプロテスタントの男性が、カトリック系若者たちによって頭部に攻撃を受け負傷している。これもまた、警察は宗派がらみの事件だとしている。 
 
▽自制を呼びかける親族、政治家 
 
 宗派の違いに起因する暴力事件は報復の暴力事件を生み、悪循環となる。北アイルランドの人々は報復に続く報復の流れを、過去数十年、身を持って体験してきた。マイケル君の死後、地元コミュニティーでは、若者たちが報復行動に走らないよう、自制を呼びかけることが最優先となった。 
 
 亡くなる数分前に撮ったマイケル君の写真を手にして、カトリック系新聞「アイリッシュ・ニューズ」の取材に応じた叔父のフランシス・マッキルビーン氏は、「両方のコミュニティーの暴力団が通りを歩き回った結果、こんなことが起きてしまった」と述べ、「たった15歳だったのに。物静かで体の小さなティーンエイジャーだった」と肩を落とした。 
 
 プロテスタント系の最大政党「民主ユニオニスト党」の党首で、この地域に議席を持つイアン・ペイズリー氏は、遺族に電話を入れ、追悼の意を示した。氏もまた、「悲劇がカタストロフィーに発展しないように」、と、住民らに冷静な対応を呼びかけている。 
 
 カトリック系住民の支持政党シン・フェイン党も、12日予定されていた、南北アイルランドの統一運動に関連するイベントの開催を中止した。「これ以上地元の緊張感を高めたくない」、とシン・フェイン党議員のフィリップ・マッグイガン氏はBBCに語っている。 
 
 バラミーナ地域を管轄するテリー・シェブリン警視は報道陣に対し、該当地域のパトロールをこれまで以上に強化している、と述べた。宗派の違いを起因とする暴力行為を防ぐには警察側の努力だけでは十分ではなく、「異なる宗派の相手に対する偏見をなくするために住民たち自身がもっと努力をする必要がある」。 
 
 異なるコミュニティー間の緊張感は、夏が近づくに連れて、いや応なしに高まりを見せている。 
 
 一つには、「オレンジ行進」が北アイルランドの各地で始まっているためだ。 
 
 1690年7月、プロテスタントの英王ウイリアム3世はアイルランド半島東岸で起きた「ボインの戦い」で、追放したカトリック教徒の元英王イングランド王ジェームズ2世とカトリック勢力などを撃破した。プロテスタント側は7月12日を戦勝記念日とし、様々な行事を行ってきた。中心となるのは、プロテスタントの友好組織オレンジ党のメンバーによる「オレンジ騎士団」の行進だ。宗派によって固まって住む傾向のある北アイルランドで、カトリック教徒のゲットー地域に面した通りをオレンジ騎士団が行進すれば、カトリック系住民に対する大きな挑発行為となる。 
 
 カトリック系住民の居住地に面する通りで行進をするのは避けて欲しい、とするカトリック住民と、カトリック側の要求に応じて行進ルートを変更することを屈辱と感じるプロテスタント住民との間で、毎年、対立が生じてきた。対立が暴動に発展し、これを静化するために警察や英軍が動員されるのは決して珍しい事態ではない。 
 
 もう1つの緊張要因もある。今月15日、過去3年半停止状態になってきた自治政府を再開させるため、北アイルランド議会が召集される。議員たちは11月24日までに自治政府の行政委員会(内閣にあたる)のメンバーを選出することになっている。 
 
 それぞれの宗派の住民を代表する政党間同士の不信感は根強い。議論を途中でボイコットする議員が出てくる可能性は大いにある。また、議論の過程で互いに対する強い批判、非難が表明されるだろうことは必須。こうした言葉のやり取りが、若者たちを刺激し、コミュニティーの緊張感を高める可能性もある。 
 
 1970年代から30年ほど続いた、アイルランド共和軍(IRA)などの民兵組織によるテロ活動は現在では沈静化しているが、市民レベルの暴力事件、暴動は絶えることがない。北アイルランドは、一触即発の状況が続いている。(つづく・次回「政治家たち」) 
 
<北アイルランドとは> 
 アイルランド半島の北東部にあるアルスター地方の6州(アントリム州、デリー州、ティローン州、ファーマナ州、アーマー州、ダウン州)で、人口168万。首都ベルファースト。英領。12世紀からアイルランドは英国の支配下にあり、1801年には事実上の植民地となった。1920年代、カトリック教徒が主体のアイルランド南部の26州が「アイルランド自由国」として自治権を得た際、プロテスタントが多数だった北の6州は英国への継続した帰属を選択。現在までに、南北アイルランドの統一を支持するカトリックの住民と英国の一部であることを望むプロテスタント住民との間の対立が絶えない。1970年代から30年近く続いた「北アイルランド紛争」(英語では「Trouble」と呼ばれる)では、3,000人以上がテロの犠牲になった。1998年の和平合意の下、自治政府が成立したが、2002年10月、スパイ疑惑がきっかけで政治家同士の不信感が強まり、自治権は停止された。今年11月24日までの自治政府機能の回復を目指し、北アイルランド議会の議員が協議中。 
 
 北アイルランド成立までの流れ 
 
12世紀 イングランド王ヘンリー2世がアイルランド侵攻 
17世紀 イングランドからの入植者(プロテスタント)が増加。 
1801年 英政府、アイルランドを正式併合 
1914年 アイルランド自治法が成立するが、第1次世界大戦のため保留に。 
1916年 英国からの独立を目指し、南部の都市ダブリンで約1千人の市民が「イースター蜂起」。指導者は処刑。 
1920年 アイルランド施政法の下、プロテスタントが多く、英国との継続した連合を望む北東部の6州「北アイルランド」とカトリックが主体の南部26州とが分離。 
1921年 英国―アイルランド条約が締結。南部26州が自治権を持つ「アイルランド自由国」になることを定めた。北アイルランドの6州は「自由国」に加わらないことを選択。北アイルランド議会発足。(71年まで続く。) 
 
 北アイルランドは英領だが、南部は22年にアイルランド自由国憲法を制定。37年には新たな憲法を制定して主権国家を宣言。49年、アイルランド共和国に。 
 
※「北アイルランドは今」は、日本と英国の相互理解を進めることを目的とする、英国のチャリティー団体グレイトブリテンササカワ財団助成金を得ています。

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by niinfo | 2007-09-25 06:36 | 北アイルランドルポ